文档:吉卜力日志/2001年10月

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2001年10月
2001年10月
10月1日(月)
 作画伊藤君が引越しをするというので嬉しそうにしている。「どこ引っ越すの?」と聞いてみたところ、場所は新小金井駅近く。詳しくまわりの様子を聞くと、どうも聞いたことがある感じ。偶然にも先日引越しをした制作居村氏の旧居を契約したようなのだ。居村氏は「伊藤家の間取りが手にとるようにわかるよ」と、おかしくてしょうがない様子なのだが、伊藤君は、かなり気落ちしていた。
10月2日(火)
 「バロン」のコンテの刷り置きが心もとなくなったため、コピー機フル回転で増刷にかかる。うずたかく積みあがっていたコピー用紙が次々と消費されていく。その量も半端ではない。
10月3日(水)
 ツール・ド・信州の準備が着々と進む中、ゼッケンを作るためのアイロンプリントを購入する。ほとんどのゼッケンはマッドハウスのメンバーが作ってくれたのだが、参加者の追加があったためマッドに電話したところ、製作スタッフがスペインへロケハンに行っている為、連絡もままならず、こちらで作ることになったもの。現物を見ながら泉津井さんにプリントアウトしてもらい、会社近くに住む作画伊藤氏にアイロンを借りて完成。多少色が違うような気もするが、まあ気にしないことに。
10月4日(木)
 「バロン」のBGフィルムテスト上がりをメインで確認する。いつもはラッシュを古城氏に回してもらっているのだが、今日は別の用事で社外に出ていたため、制作でヒーヒーとまわす羽目に。フレームがうまく合わず、ピントもボケ気味。その上、画面自体がより気味で、何度かまわす羽目になってしまった。終了後、出口、居村の両氏は自主練を行う。

 黒田硫黄氏がツール・ド・信州のサポーターとして参加する西さんを連れて来社。サポートスタッフと打ち合わせ。

 コンピューターから画像をプリントアウトし、作画参考に使うというのは最近よく使われる手法だが、今回行ったカットは300枚にのぼる。タップの張替えだけでも一仕事。新人清川君がその任にあたる。かわいそう・・・。
10月5日(金)
 通称鳥小屋の暖房にと、一階にエアコンを設置するための工事が行われる。もともとはクーラーしかなかったための処置だ。無事工事も終わり担当の居村氏もご満悦。しかしその後恐ろしい事実が発覚しようとはこのときまだ知るよしもなかった。(続く)
10月6日(土)
 なんと、鳥小屋の暖房は、2階に必要だったことが判明! 居村氏は泣きながら業者に連絡。近日中に2階に上げてもらうよう工事の手配をする。

 明日は第五回ツール・ド・信州のため、かなりの人が早めに退社している。スタジオにはツールの取材にと信越放送のスタッフが来ている。これからマッドハウス等も回る予定だそうだ。ちなみにツールはレースではなくサイクリングである。
10月9日(火)
 ツール・ド・信州の結果が社内に張り出される。今年も高坂氏が優勝。ここ何年か道を間違えまくり、宮崎監督から「勝負を避けているに違いない。今年は道を間違えないように地図担当だ」と命令され、現地視察まで行った野崎氏だったが、レース1週間前にコケて肋骨にひびが入るというアクシデントを起こし、結局8分差の二位。レース前にコケて肋骨にひびが入っていなければ、という想像をさせてしまうところが野崎氏らしいのだが、宮崎監督は「わざとコケたに違いない」と一言。何時になったら万全の状態で勝負をすることになるのやら・・・。
10月10日(水)
 T-2に、「バロン」仕上げのカットを入れ替える。その他外回り多数。今日は大雨のために視界が悪く、車線が見えづらく、かなり難儀する。

 制作神村氏が待ち望んでいた浜州さん、51カット分の作打ち。
10月11日(木)
 「バロン」原画宮崎さん作打ち。
 ツール・ド・信州の帰り道、車の中で首を曲げたまま寝ていた神村氏、日を追うごとに首の調子が悪くなり、ついに我慢できなくなったのか、保田さん御用達の針へ出かけていく。
10月12日(金)
 バロンの原画を担当する杉江さんに会いに新宿近郊へ。11月にINを予定。

 某短編作品関連で、制作斉藤君は朝一から大忙しとなる。それにあわせて倉庫のキャパシティの無さにあらためてショックを受ける。2作品の原画、動画をどう整理していくかは、今考えないと後々後悔することになりそうだ。
10月13日(土)
 夜、神村氏が東小金井に新しく出来た飲み屋へ。深刻な仕事の話かと思いきや、単に新しく出来た飲み屋の偵察に行き、他愛も無い話に終始したとか。
10月15日(月)
 作画打ち合わせが続く中、またしても机が足りなくなってきた。3スタにもスタッフが増えつづけているので当然といえば当然なのだが、しょうがないので再び机を6台注文。11月頭に3台取り合えずIN予定。

 「バロン」CDパートの色打ち合わせを行う。
10月16日(火)
 注文していたトレーシングペーパーの動画用紙が納入される。よく透けて助かるのだが湿気などで巻いたりしないかだけ気にかかる。

 夜、久しぶりに屋台のラーメン屋さんが通りかかり、制作神村氏と業務の数人が慌ててダッシュ。どうもチャルメラの音が食欲を湧かせるようだが、もう冬が来たのか、と感慨にふけると同時に、心も寒くなってきた(スケジュールが・・・)。
10月17日(水)
 「バロン」色指定に使われているPCの一台が動作不良。データを保存した後、修理に出すことに。今度はウィンドウズマシン。
10月18日(木)
 「バロン」原画栗尾さん、3時より追加作打ち。
10月19日(金)
 「バロン」原画山川さん、3時より作打ち。

 金田伊功さんが、かわいいお嬢さんを連れて来社。みんなが娘さんだと思って接していたら、後から単なる知り合いのお嬢さんだと聞かされる。みんな勝手に勘違いしていたくせに「だまされた」と悔しそうにしていた。ところで、前回来た時もそうだったのだが、なぜか懐かしい顔ぶれが示し合わせたわけでもないのにジブリに集まり、話に華が咲く。どうも金田さんには、人をひきつけるオーラがあるようだ。
10月20日(土)
 このご時世に制作渡辺、神村の両氏は焼肉を食べに行く。それは別によいのだが、二人ともさっき晩飯を食べていたような気がする。いや、食べてたな。確実に。

 不要となっていたコンプレッサーを3スタ地下に搬入。
10月22日(月)
 QARの空き容量が少なくなってきたため、マックのフォルダーをチェックする。いまだに「千尋」のデータが大量に残っていたり、用の無いデータが隠れていたりしている。ちゃんと整理しないといけないのだが・・・。

 今日は作監修正用紙を大量に作る。紙は常に必要だが相変わらず倉庫に空きが無い。先日少し整理したはずなのに誰かがまたひそかに荷物を入れたのか?
10月23日(火)
 「バロン」T2より、ボードの撮影上がりを回収。

 美術館ですでに公開している「くじらとり」のパンフレットがようやく完成。関係者が閲覧。ああ懐かしい。
10月24日(水)
 「バロン」の撮出しの相談のため、T-2に打ち合わせに行く。

 3スタ2階に、ムゼオの絵の具棚を少し移動し、「バロン」の作画机をいれるスペースを確保する。早速明日には地下に保管してある作画机を入れる予定。スペース的に3スタはこれで限界かな。
10月25日(木)
 「バロン」の音楽を担当する野見さんが来社。先行で作る音楽について森田監督の打ち合わせ。

 制作数人が連れ立ち、焼肉食べ放題「食べるレジャー」に行く。帰ってきた某氏は「私はもともと豚肉が好きなんでそればかり食ってました」と弱気の弁。
10月26日(金)
 人数が増えてどうしようもなくなってきた3スタ「バロン」スタッフルームの配置について、メジャー片手に大いに悩む。あちら立てればこちらがたたず。試案は2つできたので、月曜のミーティング時にメインに打診する予定。

 神村氏が誕生日だったので、渡辺氏がケーキを購入、プレゼント。といっても直径10センチのケーキ。神村氏は「ありがたいが、イチゴが一個じゃ・・・」とコメント。
10月29日(月)
 「バロン」BG上がりを、T-2に撮影入れ。前回話し合った撮出しの手順を本番テストすることになる。まずは問題がでないことを祈ろう。