文档:吉卜力日志/2002年10月

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 9月 2002年10月 11月
2002年10月
2002年10月
10月から当分の間、スタッフが交代で、社内や身の回りに起きた出来ことを書き綴っていきます。まずは、Tプロデューサーからスタートです。
10月1日(火)
 様々なしがらみによって、当年とって42歳、スポーツ歴0という私が、160キロを自転車で走るという「ツールド信州2002」に無謀にも参加することとなってしまった。これから、1週間にわたって、その挑戦と(もしかしたら、いやかなりの確率で)挫折の経緯を報告したいと思う。(T)

ツールへの道 その一

 「宮崎カントクからの厳しい言葉」

 とりあえず、9月下旬の京都社員旅行に愛車BD-1をわざわざ持参。ひとり琵琶湖に向かい、約40キロの湖4分の1周に挑戦。夕暮れと戦いながら、何とか走りきる。宿に帰り、夕食時に、「これならツールド信州も万全」と吹きまくる。実際は、この段階で、尻は痛いは、腕はしびれるは、でけっこうボロボロだったのだが。ただし、僕もこのあたりは、しゃれのつもりであった。まあ、最後の10キロを走るとか、何か適当にお茶を濁すつもりだったのだ。ところが・・・。「Tさんが出るって!? (絶句)どうせすぐにリタイヤでしょう」旅行後、どこからともなく、M監督のこのようなコメントがきこえてきた。期待通り、そんなことでいいのか。監督自身が言っているではないか。「男の子はやるときはやるんだ」と。ここに至り、「出るからには何とか完走を」という欲望が、むくむくと頭をもたげてきたのだった。
10月3日(水)~4日(金)
 ツールへの道 その二  まず形から入る(前編)

 さっそく、BD-1購入のきっかけを作った首謀者であるCに厳命をくだす。「お金には糸目をつけないから、完走に必要な機材を用意しろ」と。結果としてとりあえず、以下のようなモノモノを買いそろえさせた。

 1.妙に高価なサドル
 「これなら、男の大事な部分も大丈夫です」とのコメントつき。本当だろうか。

 2.メカニカルなペダル
 スキーでもないのに「ビンディング」というのが付いている。こんなので走っていて、こけたら、かえって危ないような気がする。

 3.歩くとガチャガチャいうクツ
 2.と組み合わせて使うものらしい。非常に歩きにくい。リタイヤして電車で帰る場合は問題になりそう。

 4.穿くのがためらわれるようなパンツ
 お尻にパッドが入っているので、お尻がいたくならないという触れ込み。普段はとても穿けないデザイン。

 5.指の抜けている手袋
 BD-1のグリップは結構ゴツゴツしていて手が痛かったので、これは素直によいと思った。

 6.走りながら水を飲むためのボトル
 水分の補給が大事とのこと。ただ、僕のBD-1には付けるところがないので、工夫が必要である。

 7.その他の工具とそれを入れるサドルバッグ

 タイヤレバーとか6角レンチとかいろいろ。荷物は極力減らして、カバンは持たずに、サドルバッグというのに全部入れたほうがよいらしいので、それも買う。

 締めてン万円の出費だった。自転車とはなんとお金がかかるものか、と改めてびっくりする。この金食い虫ぶりは、どこかパソコンにも通じるものがある。なお、ここだけの秘密だが、上に掲げたまっとうな機材以外に、実は個人的に準備している「秘密兵器」がある。それは、「ハンディGPS」というもので、これまたン万円する非常に高価なものなのだ。現在位置が確実にわかる、ということで、遅れに遅れてひとりでの走行になった場合に、威力を発揮する予定である。てなことをやっているうちに、本番まであと1週間になってしまった。だんだん不安がつのる。

 以下次号
10月5日(土)
 ツールへの道 その三  緊張のブリーフィング

 今日は、ジブリのバーで、ツールド信州の事前打ち合わせが行われた。何となく、参加者全員が集まるのかと思っていたら、これは「ジブリチーム」のブリーフィングなのである。

 チーム単位で参加するものだ、ということをそれまで寡聞にして理解していなかった。しかも、チームは、出走者とクルマで伴走するサポートメンバーとで構成されるという本格的なもの。(編注 出走15名 サポート10名 車両6台。ちなみに、ツール全体の出走予定者は約80人)

 種々の議題が、チームリーダーのI-1くんとサポート隊チーフのI-2さんを中心にテキパキと処理されていく。きいているうちにだんだんと緊張が高まってきた。どう考えても、みんな仕事よりも力が入っている。ちゃんと走らないと大変なことになりそうな気がしてきた。

 最後に、初参加の3人だけでI-1くんからコースの説明を受ける。他にも初参加がいるのでちょっと安心したのだが、実は他のお二人というのが、どう考えても自分よりはるかに自転車キャリアがあることが判明。ゴール付近の地形とかを詳細にきいている。ラストスパートがどうのとか。こっちは、そもそもスタート地点までたどりつけるのか、とか序盤の(文字通り)山場である大垂水峠を登れるのかとかを心配しているのに。

 後でサポート隊員として参加する制作のHくんにきいたら、サポート部隊の間では「(どん尻を走るであろう)Tさんをどう扱うか」というテーマで大激論が戦わされたらしい。心配されるのはありがたいような心外なような。とにかく、もはや「冗談でした。やっぱり出ません」なんて言ったら絶対に許されない情勢である。

 閑話休題。サポート隊チーフのI-2さんは、本職はCGのエンジニアで普段は正直言ってそんなに目立つ人ではない。ところが、このブリーフィングでは、立派なブックレットを作ってくるわ、クルマや人員の振り分けなどの詳細なサポートプランは練ってくるわ、あれこれ意見対立はさばくはと大活躍であった。こういう、仕事に直接関係のないイベントによって人の新たな面が見えてくるのだなあ、と認識を新たにした。いや、感心している場合ではない。
10月6日(日)
 ツールへの道 その四  大垂水峠試走 つのる不安

 昨日のコース説明や、ホームページ上に披露されている過去の出走者のコメントなどを見るだに、どう考えても最大の難所は「大垂水峠」であることは間違いない。体力の問題はもちろんあるが、それ以上に愛車BD-1のギヤ比がこの峠に通用するかも非常に心配になってきた。

 そこで、休日を利用して、大垂水を試走してみることにした。といっても、体力がないので、輪行で高尾山口まで行き(ここは、折り畳み自転車の面目躍如)峠だけを走るという軟弱なプラン。ちなみに、届いたばかりの新兵器・ハンディGPSも試用してみる。

 詳細は省くが、本当にきつかった。BD-1は8段変速で、通常は上の2-3個のギアしか使わないのだが、あっというまに一番軽いギアに落とすことになった。それでも何度も降りて押そうと思ったが、GPSの高度表示を見ながらあと○メートル」と自分にいいきかせて、じりじりと登る。

 実際は、30分程度のものだったが、永遠に続く苦行に思えた。「ここから神奈川県だよーん」という表示が見えた時には、アムンゼンが南極に到着した、とかヒラリーがエベレストに登頂した時とかに感じたのと同じくらいの感動があった(いや、大げさじゃなく)。

 恥ずかしいがデータをまとめてみると、高尾山口駅から向こう側の相模湖駅まで、正味11.8キロをちょうど45分で走った計算になる。これが速いか遅いかはまったくわからない。が、とにかく越えられた、というのでひとつ自信がついたのは事実。また、GPSも思いのほか有効であることがわかった。目的地までの距離と高度がリアルタイムで把握できるのは、精神衛生にかなり寄与する。

で、調子に乗って、少し長距離も走ってみようと、またまた輪行で日野駅まで行き、そこから川崎まで多摩川沿いに、40キロほど走る。これはこれで、道が途中で途切れて、BD-1を担いで土手を上ったり降りたりするなど、大変な思いをしたのだが、愚痴になるので詳細は省く。

 問題を感じたのは、走行スピードである。とにかく、次々と他の自転車に抜かれるのだ。風が強いせいもあるとは思うが、いくら何でも、スピードが出てない気がする。GPSを付けたので、速度もわかるのだが、後でチェックしてみると、走行中の平均が15キロ、休憩時間も入れた総平均だと12キロくらいであった。

 もちろん、峠でへばっていたせいもあるのだが、何となくBD-1の走行性能にも問題があるような疑惑が生まれてきた。だいたい平均12キロだとすると、ツール160キロを走るのに13時間以上かかる計算になり、とても夕暮れまでの完走には間に合わないではないか。
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これがドイツr&m社のBD-1だ。
10月7日(月)
 ツールへの道 その五  まず形から入る(後編)

 翌日、早速Cをつかまえて問いただす。「BD-1の走行性能に問題はないのか」と。その返事は「もちろんありますよ。まあ、高級ロードレーサーに比べれば1.5倍くらいきついでしょうねえ。Tさんは何て無謀なことをするんだろうと不思議でした」

 そういうことはもっと早く言え。

 なんとなく、BD-1のような小径車でもギア比次第で、普通の自転車と同様に走れるものと信じ込んでいたのだが、自転車には、ジャイロ効果というのがあり、車輪が大きければ大きいほど、慣性の力でラクに走れるのだそうだ。小径は直進安定性に欠けるので、神経も使うので疲れる、との由。

 「とにかく、ちょっと確認しましょう」とCが言うので、ジブリの前でテストをする。

 ひとつ、意外な事実が判明。実は、タイヤの空気が抜け気味で、昨日の走りにくさはそのせいではないか、とのこと。ぱんぱんに空気を入れて走ってみると、確かに昨日よりは軽く走れるような気がする。ただ、試しに、広報のNのプジョー製マウンテンバイクとかを乗ってみると、速度というより直進安定性ではやはり、大分上だなあ、とも思う。

 とか何とかやっているうちに、次々と野次馬が集まってくる。

 サポート経験者の制作のKくんがやたらと力をこめて言ってくる。「この自転車で出るのは絶対反対です。見るからに不安定じゃないですか。笹子トンネルでふらついたら、トラックに轢かれちゃいますよ」

 途中リタイヤ経験者で今回は出走回避した美術館のMなども「そうそう、笹子は怖いですねえ」とか無責任に不安をあおる。

 もともと、今回のツール参加は、弾みで買ってしまったBD-1を何かに役立てたい、という不純な意図から始まったもの。BD-1で出ないとすると本末転倒の極みになるのだが。しかし、すでに賽は投げられている。「金に糸目はつけない。どんな手を使っても完走する」という方針があるではないか。

 不良債権処理に次々と公的資金をつぎ込むというのはこういう状況か、と思いながらも、決断してCに命じた。「何でもいいから、BD-1より高速性能があり、軽いギアもついている自転車を買ってこい」と。

 ツール本番まで、あと一週間を切った。
10月8日(火)
ツールへの道 その六  まず形から入る(後編 承前)

 と、Cに命じたら、30分とたたないうちに「出物がありましたぜ」と情報を持ってくる。

 仕事は遅いくせに、こういう時はやたらと素早いのである。

 で、そのモノとは、「ジャイアント」というメーカーの「メッセンジャーバイク」とかいう種類(FCR-2)で、定価で8万円ほど。パーツをあれこれ付け替えて、値引きとかも考慮すると、全部で10万円くらいで収まるだろう、とCは言う。自分が行きつけの自転車屋に頼むので、何とか水曜までには手に入るとの由。

 メッセンジャーバイクというのは、基本はロードレーサーなのだが、ハンドルをストレートタイプのモノにして乗りやすさを改善、街乗りにも使えるようにした新しい種類の自転車だとか。

 ただ、ホームページで見る限り、非常にデザインがださい。フレームに「GIANT」というロゴがでかでかと入っているのもみっともないし、カラーリングも黒とオレンジとかでハデハデ。愛車BD-1のドイツ合理主義が隅々まで行き届いた機能的デザインとは比べるべくもない。

 「そんなこと言ったって、アニメーターのEさんも愛用のメーカーなんですよ」とCは主張するが、Eさんは「鋼鉄ジーグ」が好きなくらいだからなあ(意味不明)。そもそも、我が軍の宿命のライバルと一字違いではないか。(編注 T氏はタイガースファン)

 いろいろごねるが、時間がないので他には選択肢はない、と説得され、購入を決意した。後は、待つだけだ。
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FCR-2。値段が手ごろなわりにはカーボンフォークまで付いている。これをツール用に改造した。
10月9日(水)
ツールへの道 その七  有用なアドバイスなど

 新車が届くまではヒマである。

 情報が広まったせいで、いろんなアドバイスをしてくれる人も出現する。

 「よこしまな心を捨てて、自分の心臓の鼓動に謙虚に耳をすませるのが大事ですよ」とは、M-2監督。何を言いだすのかと思ったら、なんと彼は、中学・高校と長距離走の選手だったとか。(卓球の選手だったというA監督といい、アニメ監督には元スポーツマンが多いのかしら)。「スタートとラストスパートは何とかなるものなので、中盤を無心に『惰性』のような感じで走ると完走できますよ」と、貴重なアドバイスをもらう。

 脚本家のNいわく、「BD-1で出るっていう話だったので、心配してたんですよ。小径は下りが不安定で危険ですからねえ」。彼は、優勝候補のひとりでもある。「自転車を替えるんだったら大丈夫。完走できますよ。あと心配があるとしたらお尻の痛みだけですかねえ」との由。お尻には、特性のクリームを塗るとよいとのことで、たくさん持っているから貸します、と親切な申し出も受ける。しかし、先日購入したパンツは、直に穿けとのことで、しかもクリームまで塗れ、というわけで、何かゾッとしない話である。

 とにかく、体力のほうは、もはやどうこう言っても仕方がないので、今後は情報収集と分析に力を入れていこうと思う。

 コース図を入手し、ギアの使い方や、速度の目安などを考え始める。何しろ、自動車のラリーとかに比べると、走行中にドライバーとナビとエンジン(!)の一人3役をこなさなければならないので、事前の準備が肝要である。
10月10日(木)
ツールへの道 その八  誕生! ツールスペシャルT-1

 今日は、新車が届く日。

 自転車というのは、完成品で売っているものかと思っていたら、バラした形で届き、店の人が組み立て調整してから売るモノらしい。

 というわけで、店のほうの作業が終わるまでじりじりと連絡を待つ。

 夜も遅くなり、新車が完成したとの連絡が入る。三鷹駅北口徒歩5分のサイクルハウスIまで、さっそく取りに行く。

 現物は、前にホームページで見た印象とは大分違う。かなりシャープな感じで、「ださい」とか書いたのは撤回する。Eさん、すみません。

 Cと店長のIさんが、あれこれと知恵を絞ってくれて、大幅なパーツ交換がなされている。最大のポイントは、ギア。オリジナルは前2枚後ろ8段の16段変速だったが、これを前3枚後ろ9段の27段変速に改造してある。坂道から高速巡航まで、ワイドにカバーする、というもの。ホイールは、Cの家に余っていた「Tさんにはこれでももったいない」マビックのコスモスに変更。ハンドルバーもポジションを考えて若干楽なものに変更してある。タイヤは、BD-1の半分位の幅しかなく、確かに路面抵抗は低そうだ。サドルやペダルも、先週買ってBD-1に付けていたものと取り替えてある。

 ふたりが口を揃えて「これぞ、ツールド信州完走スペシャルである」と断言する。

 名前を付けなければならないので、少し省略したうえで故事にならい「ツールスペシャルT-1」とした。

 順序が逆になるが、BD-1が「T-2」、そして近い将来、より高速指向の本格ロードレーサーを入手した場合には「T-3」と名付ける予定である。(意味が分かる人はメールください)

 なお、サイクルハウスIでは、ついでに、I店長お勧めの「手がしびれない」という「ゲル入りグローブ」、持ち運び用のポンプ、替えのチューブなども購入する。結構な出費だが、もはや金銭感覚がまひしているので何とも思わない。

 深夜ではあったが、短時間の試走に出かける。確かに、軽い。特に、漕ぐのをやめた場合に、惰性で走る距離がBD-1よりずいぶん長いようだ。また、BD-1では事実上不可能だった、手放し運転も可能。直進安定性はかなり高いと見た。

 坂の実力を確認したいが、近くにいくらなんでも峠はない。そこで、自転車でわたれる歩道橋のスロープを何度か上り下りしてチェックをする。だいたい、50メートル走って5メートル上がる形だったので、パーセントに直すと10%相当の坂ということになる。ギアを最後まで使い切らなくても、何とか上れたので、ギア比的にはかなり余裕がありそうだ。

 後は、当日までに、新しいマシンにどこまで慣れることができるかが、最大の課題だ。
吉卜力日志 diary02 021015.jpg
これがツール完走スペシャルT-1号だ。
10月11日(金)
ツールへの道 その九  決戦前夜

 本番が近づいてきた。

 会う人ごとに、心配されたり激励されたりする。

 ここまで来たら、人事を尽くして天命を待つ、と言いたいところだが、最後まであれこれとあがくつもりだ。

 新車・T-1をサイクルハウスIに持ち込み、最後の点検をお願いする。

 ついでに、完走に向けての秘訣をI店長にきく。

 「とにかく、無理をしないこと。重いギアは無理に踏まない。水や食事はこまめにとる」と至極まっとうなことを言われる。なお、前走者を風よけとして活用するかどうかについては、「前を走る人が下手な人だと、かえって危険。マイペースで走ることを勧める」とのことだった。

 さらに、今日の作業としては、コースのチェックを行った。GPSと連携してつかえるフリーの地図ソフトというのを入手したので、その上で、ルートを設定し、GPSに転送する。非常にめんどうな作業だったが、コース全体をおさらいすることになったので、結果的にはよかった。

 今のところ、走り方は次のように考えている。速く走ることは一切考えず、11時間半を完全に使い切って完走を目指す作戦である。

 コースの全長・・・・・160キロ

 内訳をごく大ざっぱなデータ分析の結果、以下のように規定した。

 きつい登り・・・・・65キロ

 平地と緩やかな登り・・・・・75キロ

 強い下り・・・・・20キロ

 きつい登りは、時速10キロ、平地と緩やかな登りは時速25キロ、強い下りは時速40キロ(!)そして、休憩を1時間に一回5分間、トータルで1時間と見るとこれでちょうど11時間で完走という計算になる。実際には、種々のロスもありうるので、きつい登りというジャンルに入れた部分をトータルでもう少し速いペースで走らないと、完走は難しいと思われる。

 つまり、大垂水や笹子の一番上以外は、時速10キロと言わず、15キロくらいは何とかしないといけない。あと、下りは安全走行のつもりだったが、新型マシンの力を信じて、極力ハイペースで走ることにする。

 コースをチェックしてみて、結局、ほとんどが登りのきついコースだと改めて感じた。

 現実的に考えると、自分の脚力では完走を口にすること自体がおこがましいように思えてきた。いろいろ手を尽くしてきたが、やはり非常に厳しい戦いが予想される。

 と、絶望ばかりしているわけにはいかない。

 まだ買う物や準備することが残っている。明日は決戦前日なので、仕事は一切せず、ツールの準備に専念することにする。

 パンク修理セット、自転車専用の上着、ヘルメットなどを購入する予定。

 また、T-1に水のボトルやカギの装着を行う。

 そして、例のクツ(SPDと言うらしい)の調整を丁寧にやらなければならない。というのは、ビンディングで足をペダルに固定するのは力の伝達では極めて有効だが、調整が悪いと、膝を痛めてしまう、という恐ろしい話をきいたからだ。

 さらに、チューブ交換の練習、そして、例のパンツを穿いての完熟走行をこなすわけで、果たして1日で終わるかどうかわからないような作業量である。

 本番前の書き込みはこれが最後となる。

 結果は来週ここで報告させてもらうが、ぜひ、いい結果をお知らせできれば、と思う。

「ネバー、ネバー、ネバー、サレンダー」の精神で全力を尽くす所存である。
10月16日(水)
ツールへの道 とりあえず最終回

 というわけで、お騒がせしたが、無事ツールド信州も終了した。

 読まされるほうは迷惑かもしれないが、せっかくなので最後にツール当日の模様をくどくどと報告させてもらいたい。

 ちなみに、例のハンディGPSには、走行ログを取る機能があった。パソコンでそのデータを閲覧できたので、時刻や距離、速度等できるだけ計算してレポートに入れておいた。ただし、衛星をロストしていた時間(トンネルとか電池交換の間とか)があったりして、それほど正確なデータではないので、あくまで概算・目安と思ってほしい。計算上の端数も適当に処理してしまっている。

 なお、走行中は、細かいデータはほとんど見る余裕がなかったが、GPSで表示される「移動平均速度」と「全体平均速度」は常に気にしていた。前者は走っている間の正味の平均速度。後者は休憩時間で静止している時間も含めた全体の平均速度である。今回は、160キロを11時間で走る計算だから(強制終了となるのは夕方5時半の予定であるから、実際のタイムリミットまでは11時間半あるが、余裕を見て考えた)、「全体平均速度」は最終的には時速約15キロをクリアしていなければいけない。後半バテることも考慮して、少なくとも「全体平均速度」が16キロを割らないように、という意識で走っていた。

 1.スタートから大垂水峠経由相模湖まで~まだまだ余裕あり

 ジブリを5時15分発。みんなは、スタート地点の稲城大橋までウォーミングアップを兼ねて自走するのだが、こちらは少しでも体力を温存するため、広報の西岡のクルマに愛車T-1を積み込んでの出発である。

 途中、西岡のクルマにはカーナビがあるにもかかわらず、道が分からず、なかなか稲城大橋に着かない。6時のスタートぎりぎりでたどり着く。いきなり不吉な出足だが、とりあえず間に合ったのでよしとしよう。

 記念撮影の後、適当に集団を作って、1分おきにスタートする段取り。2分遅れというグループで6時2分に出る。比較的早いスタートである。

 多摩川沿いの道を25キロ前後の速度で走行。日野橋を渡るあたりで、妙に足が軽く、30キロくらいまで加速、そこまで形成していたグループを抜け出して、先へ出てしまう。これは、後を考えると愚かな行為であった。というのは、八王子近辺の三叉路で、道に迷ってしまったのである。後から考えると道なりに右に行けばよいだけだったのだが、一人での走行になっていたため、妙な勘違いをしてしまって、しばらく時間をつぶしてしまった。

 とはいっても、ロスしたのは5分ほどで、その後は、国道20号に沿って順調に走行。高尾山口駅付近で、最初の休憩を取るつもりだったが、ロスを挽回するため飛ばすことにする。井上さんと大山くんのサポート1号車の前も通過する。ちなみに、笹子峠までの要所要所にジブリチームのサポートカーが待っており、選手の通過をチェックしている。行方不明者を出さないためのシステムである。

心配していた大垂水峠はきついことはきつかったが、それなりに登って、7時50分に峠に到着する。

 さて、ここまでの32.2キロを1時間47分。全体平均速度は18.05キロ。途中のロスがあったものの、まあまあの数字である。高尾山口から峠までの登り部分だけの平均を取ると、約5.3キロを25分で登った計算になり、時速12.7キロ。登りは時速10キロと思っていたので、上々の成績と言えよう。

 2.大月から笹子峠~だらだら続く登りに疲労困憊

 大垂水峠で一休みしてから下りに入る。これがまた実に速い。メーター上は時速40キロ以上が軽く出る。前回T-2で試走したときに比べると、安定性も段違いである。ここで新車に替えた効果を痛感した。

 坂を下ってしばらく進み、8時5分、JRの相模湖駅で休憩にする。試走したときに寄った場所だったので馴染みがあったからだが、道を外れているので実は時間的にはロスである。とはいえ、おおむね順調な走行だったため妙に余裕ができ、日焼け止めクリームを塗るなどの身支度をしたり装備の確認をしたりして、長めの休憩となった。

 相模湖駅を8時18分に出発。国道20号に復帰したところで、広報の西岡と出版の筒井さんのサポート2号車の前を通過。ジブリチームの中では、高松くんがまだ来ていないとか。スタート前は、当然どん尻を走ることになると思っていたので、上々の気分である。(ただし、高松くんは練習で足を怪我していたのを押しての参加ということで、実は全然自慢にはならないことを後で知った)

 ここから先は、試走をしていないので、未知の領域である。アップダウンはあるものの、まずまず快調なペース。しかし、大月を過ぎて先へ先へと進むと、だんだんと「ダウン」よりも「アップ」のほうが増えて来た。いつのまにやら、笹子峠に向かう登りに入っていったのである。

 心構えが出来ていなかったせいもあるが、じわじわと足が辛くなってくる。ギアはどんどん使い切り、いちばん軽いギアにしてもまだ苦しい状態が延々と続く。いまどこを走っているのかもわからない。笹子川という表記があちこちに出てくるので笹子峠に迫っているのではないかと想像するだけ。GPSで確認すればよいのだが、一度止まると二度と走り出せないような気がしてきて、とにかくカタツムリのように進み続ける。

 と、そこに見知ったプジョーの影が。川端と鳥羽が待つサポート車である。もうろうとした気分で、「笹子トンネルってどこなんだ」と問いただす。「あと200メートルくらいですよ。あの角を曲がったらすぐです」と言われて、全身の力が抜けた。もし、まだまだ先だ、と言われたらその場でリタイヤしていたかもしれない。
 気を取り直して、鳥羽からどらやきをもらって食べる。鳥羽は「いいペースですね。完走は固いでしょう」と励ましてくれる。が常に冷静な川端は「いや、最後の登りがきついから、この先の下りでかなり時間を稼がないとダメですよ」と厳しくも正しい忠告してくれる。

 ちなみに、この地点への到着は、11時ちょうど。相模湖駅からの約50キロをなんだかんだと2時間半以上ノンストップで走っていた計算だ。

 さて、ここまでの総計で82.5キロ。つまり全体の半分は来たわけである。総所要時間は4時間58分であるから、単純に倍すれば10時間で走り切れる計算であり、完走は十分にねらえる状況であった。だいぶペースは落ちたものの、全体平均速度は、時速16.6キロと予定をかろうじてクリアしている。

 また、笹子峠に向かう登り16キロほどだけのデータだと、時速12キロであった。ギアを一番軽くして時速6キロくらいで走っていた記憶が強いのだが、平均をとるとこんなもののようだ。

 3.甲府盆地~T-1の面目躍如、下りを飛ばせるだけ飛ばすが・・・

 川端の助言を受けたこともあり、笹子トンネルから甲府盆地にかけては、とにかく飛ばしに飛ばした。トンネルの中は確かに怖かったが、気分が張っているので、あまり気にならない。また、その後の下りは、かなり大胆に走ってみた。瞬間最高速は時速55.1キロという信じがたい数字が残っている。(ただし、脚本家のNこと野崎などは70キロで走っていたというから全然大したことはないが)

 坂を下ると、甲府盆地である。
本当は、12時になったら食事休憩をとろうと思っていたのだが、走れるうちに走っておこうという気分が働いて、「せっかくここまできたのだからブドウ狩りでもしたいもの」などと思いながらも、ずるずると走り続ける。(結局、ちゃんとした食事休憩はとらず、この後はサポートからもらったバナナを一本と、コンビニで買ったアンマンを食べただけだった)また甲府市街に入ると、マナーの悪い自動車がいたりして、なかなかペースが上がらないのでイライラしたりもする。

 とか何とかいっているうちに韮崎が近づく。ここから国道20号線を離れて県道17号に入るというわけで、全コースを通じて唯一といっていい大きな分岐である。ところが、ここで見事に道を間違えてしまった。一本早く曲がってしまったために、秋祭りの喧噪にぶつかってしまったのである。このあたりでは、何台か他のチームの人たちといっしょになったのだが、「自転車を押していけば何とか通過できるのではないか」と相談して進むものの、ブラスバンドの大群に前を阻まれて、あえなく後戻りするハメになってしまった。

 と、この時点で、時刻は午後1時13分。笹子トンネルの入り口から下りを経て韮崎までの41.4キロは、2時間13分で通過したことになる。最後で大きなロスをしたのが響き、この区間の平均時速は18.61キロと、それほど伸びていない。

 ただし、総計では、123.9キロを7時間11分。全体平均速度は17.25キロ。かなりの挽回をしたと言える。

 このあたりでは、実は「けっこういいタイムで完走できるかも」という欲が出てきていた。が、そんなに甘いものではない、ということを後でたっぷり思い知ることになる。

 4.県道17号線~地獄のハイウェイ(いや、冗談じゃなく)

 この区間では、CG部泉津井くん&デジペ斉藤嬢の黄色い新型ミニに何度か出会い心強い応援をもらったが、最初のほうで会った時には「Tさん、笹子からこっちでずいぶん挽回しましたね」と泉津井くんに言われた。確かにその通りだったようで、先を行っていたチームの何人かに追いついたりしたから、前の区間を飛ばした効果は確かにあったようだ。

 しかし、待ち受けていた県道17号線は、登り、登り、また登り、というわけで、思い出すのもおぞましい最悪の区間であった。高所を走るので、なまじ景色がよいのがまた恨めしい。

 精神的には、事前情報にまどわされていた面も強い。「大垂水が完走に向けての最初にして最大の関門」とか「実は、笹子峠の登りがいちばんきつい」とか言われていたため、この二つを何とか乗り切り、甲府盆地を比較的順調にこなしたために、甘く見ていた面があるかもしれない。

 とにかく辛い。Cこと田中やサイクルハウスIの店長に言われた「重いペダルを踏むより、軽いギアでくるくる回したほうが長持ちする」という言葉を信じて、とにかくギアを落とせるだけ落として、じりじりと進む。歩いたほうが早いような気がするが、実は、時速6キロでも歩きより速いということを知っていたので、とにかくねばり強く踏み続けた。
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地獄のハイウェイをひた走るTプロデューサー  細かく書いても仕方がないので、いくつかのエピソードのみ書き連ねる。  ジブリチームのメンバーである美術の福留くんにこの区間では何度か出会った。というのは、彼は3段変速しかついていない折り畳み自転車で参戦しており、平地はそこそこ走れるものの、「きつい登りは押して上がる」というものすごい作戦で走っていたのだ。登りで追い抜き、平地で抜かされる、みたいな熾烈なデッドヒートを繰り広げた。  しかし、彼はこの状態でとにもかくにも完走したのだから、たんへんなど根性である。出走直前に小径車を捨ててロードバイクに乗り換えた軟弱な自分とはえらい違いである。  午後2時。韮崎からゴールまでの中間地点で、豚の旗を振る謎の一群に遭遇、と思ったら、ゴールで待っているはずの宮崎監督その人であった。先にゴールした田中他を引き連れて、途中までチームの激励に来てくれたのである。「ここまで来ただけでも快挙だ。後はゆっくり走ってください」と言われて、非常に元気づけられた。これがなかったら、リタイヤは間違いないところだった。  そして、ゴールまで、あと数キロを残して、これまた先にゴールしていた野崎が、自分の自転車で迎えに来てくれた。そして、最後まで、エスコートしてくれたのである。これは、本当に心強かった。とにかく、GPSも地図も見る気力はまったく残っていなかったので、彼が、「この坂を上りきれば、後はたいしたことないですよ」とか「ここは、無理しないで足を休めて」とか「次の角を曲がればゴールまで後少しです」とか指示してくれ、何も考えずにその通り走れて助かった。  ゴール前の坂は、非常にきついときいていたので、実は、「もし完走できたとしても、ここは押して歩こう」と思っていた。しかし、Nの激励で、ギアを落としただけで、何とか登り切る。  最後は、チームリーダーの稲村くんや伝説の常勝チャンプの高坂さんなども併走してくれて、なんとかゴールすることができた。
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感動のゴール。多くの人が祝福の声をかけてくれた。  5.リザルト他  ここまで書いたところで、リザルトが届いた。   56位 9時間47分13秒  というのが私の結果である。チーム単位では、本文中に書いた高松くんと福留くんより早くゴールできたので、下から3番目ということになる。(ジブリチームは全員完走の快挙である。チームのトップは野崎で、全体の優勝は高坂さん)  総合計距離はGPSによると153.726キロと思ったより短かった。総全体平均速度は、時速15.69キロ(GPSによる所要時間は9時間47分59秒)ということになる。因みに累計標高は登り2435m、下り1551mであった。  韮崎から17号を経てゴールまでの区間で言うと、ここだけで、2時間36分。距離は、29.8キロの計算になるので、区間の速度としては、時速11.44キロである。  全区間でダントツの遅さだが、ほとんどが登りでありへろへろだったことを考えると、よくもあま乗り切ったとも言える。  で、とにかく、完走したわけで、宮崎監督をはじめ、多くの人々から勝算の言葉をいただき、望外の喜びである。  勝因は、いくつかあるが、まず「完走できた」ということに関しては、これは、サポート部隊を始めとした、みなさんの応援のおかげとしかいいようがない。特に、最後の区間で併走してくれた野崎には心から感謝している。 自転車は、精神力というのが、本当に大きい。少なくとも、一人でただ155キロを走ろうとしたら、絶対に途中で断念していたはず。みんなに走らされた、という感が強い。  また、元々、11時間半をぎりぎりまで使うつもりだったわけだが、思ったよりタイムがよかったことに関しては、これはもっぱら自転車本体に代表される機材の力による。この件に関しては、田中とサイクルハウスIの店長に心から感謝をしたい。  単純に言って、下りや平地で思ったより速度を出せたということである。登りだけならT-2でも似たようなタイムだっただろうが、トータルでは時間ぎれになっていた可能性が高いといえる。  作戦がちとも「金力」の勝利とも言えるかもしれない。  6.蛇足のようなまとめ  「への道」を締めくくるにあたって、ツールに参戦して思ったことを蛇足かもしれないが書いておく。  「ツールド信州」というのは、ようするに「ツールドフランス」を真似した「ごっこ遊び」である。優勝したから、あるいは完走したから、と言って何か金銭が貰えるわけでもない。  単なる「お遊び」に、ジブリチームに限らず参加している大の大人全員が、周到な準備をして、すくなからずの投資もして、どう見ても「仕事」以上にたいへんな力を入れるわけである。  人生を豊かにするのは「遊び」じゃないのか。 「遊び」は実は「仕事」よりもずっと大切なのではないか。  ゴールの後の食事で、乾杯の挨拶をしろと言われたので、半分冗談で「こんなことをやっていると、アニメ界の生産性が落ちるのではないか」と述べたら、宮崎監督が真剣な顔で「そんなことはない!!」と叫んでいたのが印象的だった。  ちなみに、10時間走ったことによる具体的な成果は、右手の指がしびれて動かなくなったことと、両足の左側が強烈な日焼けでひりひりする、という2点であった。期待していたダイエット効果はまったくなく、体重は出走前と変化しなかった。  田中曰く「現在は、軽い脂肪が燃えて、重い筋肉が生成中であるため、ダイエット効果はありません。ただし、筋肉が付いてしまえば基礎代謝が猛烈に上がるので、自転車に乗っていれば痩せます」とのこと。  来年度の参戦は未定であるが、もし可能なら、40歳台の同世代どうしでチームを組んで走ってみたいと思っている。  「頂上決戦!真夜中の誘惑にうち勝てるか?」  今日から約一週間にわたり、《僕》のダイエット記録を綴る日誌が始まります。《僕》といわれても誰なんだ、あんた、と言われそうだが、《僕》は僕であり、身に覚えのある《あなた》とも言えます。これは記録を綴る僕が《僕》に同調するように、読み手である《あなた》も《僕》に同調することによってダイエットの本質を解き明かすべく物語なのです。  先程、身に覚えのある《あなた》と言ったが、《僕》の身に覚えのあるキーワードを列挙することにする。年齢-40才近く。身長-170cmより低い。体重-72kg。日々の運動歴-皆無。喫煙者。珈琲愛好者。油もの好き。ジャンクフード好き。ラーメン好き。甘いモノ好き。虫歯の治療中。  さあ、ここまで挙げたところでも《僕》に同調している《あなた》も多いはずです。さて、この一週間、このワールド・ワイド・ウェッブの一片に記録するのは《僕》の食生活とワークアウト、そして体重です。ダイエットをライフワークにしている《僕》にとって、一時的且つ過激なダイエットは信条に反するところでもあるが、それではあまりにも平坦な物語となってしまうため、今週だけは少し無理をすることにして記録しようと思う。さらに記録するべきものは、例えば食生活のメニューも当然だが、その食しているときの気持ちなども克明に記録できればと思っている。そう、これはダイエットの本質を解き明かす《僕》と《あなた》の物語だからです。
10月28日(月)
 朝食:三色(野菜・ハム・ポテト)サンドウィッチ。

 《僕》程の体重をして寝起きの良い人などいるだろうか。当然のように記憶の薄いままの朝食をとっている。時々、朝食をとったかどうかも怪しい状態なので、今後の朝食記録は気を付けなければならない。
午前中~お昼:珈琲2杯。

 たまたまお昼の時間に打合せを入れたために固形物をとることができなかった。ただ、今日から始まる日誌の事を考えると、不思議とお腹の空く気分は薄らいでいた。
午後~夕刻:KAGOME野菜生活100ゼリー

 最近お気に入りの食物。虫歯の治療の為、固いモノが食べられないときにコンビニで見つけたもの。但し満腹感や満足感は皆無。自己暗示に近い食物。

晩:無し。

 晩飯時に○村氏より連雀通り沿いのラーメン屋の誘いがあったが、日誌初日からラーメンというのもどうかと思い、断腸の思いで断る。

 ワークアウト:エアロバイク。(BGM:ジノ・バネリ「Powerful People」総尺40分)ちなみにエアロバイクは《僕》の奥様の持ち物をこっそり拝借したもの。

ワークアウトは時間を決めて行うのがきわめて辛いため、1枚お気に入りのアルバムを聴いている間だけ行うことにした。

この日の体重:72kg
10月29日(火)
 朝食:ピーナッツバターのパン半分。ミルク1杯。珈琲1杯。

 寝起きで殆ど記憶のないまま食した。ただ、薄い記憶のなかでピーナッツバターはいかがなモノかと思い、半分でやめることに。
午前中~お昼:珈琲2杯。大戸屋のお弁当カジキマグロのネギ味噌焼きとひじきご飯(626kcal)

 肉中心の食事習慣を改め、魚中心の食事を心掛けた。一緒にお弁当を注文した○宮局長のお弁当が900kcal以上だったので、《僕》は心の中で少しだけがんばっているという満足感を味合うことができた。

 午後~夕刻:中国緑茶1本。

 午後に3スタ地下に置く棚の運搬整理をしたが、これもワークアウトと呼ぶべきか。
晩:キムチハウスの韓国風豆腐鍋定食(+3品の付け合わせとご飯1杯)

 先週末、ブエナの人から“鍋ダイエット”なるものが存在することを知り、閃いたのが韓国鍋料理療法。基本的に低カロリーの鍋料理にカプサイシン効果が加わるという優れもの。365日×3食、この韓国鍋を食べ続けたら本当に痩せるのではないかと幻想を抱きつつ、残さず平らげた。

 ワークアウト:エアロバイク(BGM:カーティス・メイフィールド「something to believe in」総尺40分)

 晩飯のカプサイシン効果なのか、1曲目が終わらない内に汗が出はじめた。

 この日の体重:71.5kg
10月30日(水)
 朝食:おでんとご飯半杯。おでんの中身は、ちくわ1本、大根1切れ、ばくだん1個。午前中~お昼:珈琲2杯。とんかつまい泉の雪弁当

 言い訳に聞こえるかも知れないが、このお弁当はお昼の時間を挟んだ長い打合せに出されたモノで、食べざるを得なかったと言うか何というか、とにかく全部平らげた。ただし、食べている途中から“今日はこれで食事は終わりか”と思い寂しくなった。

 午後~夕刻:珈琲2杯ちなみに珈琲は砂糖もミルクも入れないブラックで飲んでいる。

 晩:無し

 ワークアウト:エアロバイク(BGM:ノラ・ジョーンズ「come away with me」総尺45分)

お昼の弁当を気にしつついつもより5分長いCDを選んだ。またエアロバイクをこぐ前にミルキーのビスケットを1個食した。これは《僕》の奥様のアドバイスで、運動の前に少しだけ糖分を採ると脂肪が燃焼し易くなるそうで、それを信じて食した。この日の体重:71kg。不思議に毎日0.5kg減っている。
10月31日(木)
 朝食:ハムチーズ・マフィン1個。ミルク1杯。午前中~お昼:珈琲1杯。ウーロン茶1本。笹かまぼこ1個。

 そろそろ減量の追い込みをする気分が出てきたので、今日は食事でも少し無理する事にした。

 午後:ウーロン茶1本。晩:鰹のマリネ1切れ。韓国風豆腐サラダ半分。グレープフルーツジュース1杯。

 空腹時に外出をする際、一番鬼門となるのがコンビニだと判った。たばこを買うために入ったが、菓子パンやら肉まんなどが目の前に現れ、つい手を出してしまいたい衝動に駆られた。しばらくはコンビニから遠ざかることにする。

 ワークアウト:エアロバイク(BGM:キャロル・ベイヤー・セイガー「sometimes late at night」総尺42分)

 始める前にヴァーム(アミノ酸)を1袋飲んだ。どうやらこのアミノ酸というものは、運動前や運動後に飲むと運動後もしばらく脂肪を燃焼させ続ける代物らしく、夜にアミノ酸+運動をすれば、その後、寝ている間も脂肪を燃焼させてくれるという、とても効率の良い状況を体内に作りだしてくれるモノと言えよう。しばらくはこのアミノ酸の力も借りることにする。

 この日の体重:70.5kg。ウーン、やはり0.5kgの減少。