文档:龙猫 萤火虫之墓 宣传手册/26-27

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 1988 火垂るの墓
1988 火垂るの墓 
•「火垂るの墓」と現代の子供たち
•清太と節子の見た“八月十五日”の空と海はこの上なくきれいだった 対談・野坂昭如
 主页面 吉卜力的教科书 萤火虫之墓 目录 
 鈴木敏夫 宮さんが持ってきた「『火垂るの墓』クーデター計画」
Part1 映画『火垂るの墓』誕生 
高畑 勲 「火垂るの墓」と現代の子供たち
高畑 勲×野坂昭如 清太と節子の見た“八月十五日”の空と海はこの上なくきれいだった
特別収録1
『火垂るの墓』と現代の子供たち
高畑勲
戦火のなかの兄・清太は、まるで現代の少年がタイムス
リップしたかのよう——現代を照射する物語としての
魅力を力強く打ち出した八七年当時の記者発表用資料。
 池のほとりの横穴に、十四歳の少年が四歳の妹を連れ、ふたりきりで住んでいる。七輪ひとつと布団・蚊帳をもちこみ、冒険ごっこかママゴトか、枯木を拾って飯を炊き、塩気が足りぬと海水をむ。池で体を洗い、泳いだついでにタニシをとる。
 時は夏。陽は天地を焦がし、雨は水面をたたき、滝となって流れ下る。たちのぼる蒸気、流れる汗。はげしい明暗が眼を射る天地に夜が訪れ、夏草におびただしい蛍が舞う。兄妹は蚊帳のなかに百を超える蛍をはなす。淡い光にうかびあがるのは、まるで夢のような昔のおもいで。昔といっても、それはひと月前までつづいていた……。
 身を寄せあう兄と妹がふたりきりで織りなす奇妙で切ない日常の世界。まわりにたちのぼる不思議なオーラ。
 しかし、ここは難破船のうちあげられた無人島ではない。まわりには田畑がひろがり、人もいれば立派な家も沢山ある。池の土手から見下ろせば、眼下に街がなだらかにつづき、そのまま海に落ちこんでいる。街は炎天下の焼野原と、ひっそり昔ながらのたたずまいをみせる住宅地の一画とが交じりあい、しかし、そのあらわな断絶は、兄妹をおそった突然の災厄の前と後とが心のなかで決してつながらないのとおなじだった。むき出しの高架線路こうかせんうばかりが目立つ街を、川に沿ってくだり、三本の鉄道と国道を横切れば、かげろうの燃えた夏の砂浜に出る。
 昭和二十年七月六日より敗戦後の八月二十二日までのひと月半、父の出征中、空襲で母を失った清太と節子の兄妹は、山腹の貯水池わきの防空壕ばうくうこうに住み、この瀬戸内の街がふたりの生活圏、ふたりのシマだった。
 幼い妹に、ママゴト遊びと実生活の区別がどのようにつくものなのか。それを教えるのは、容赦なくおそいかかる空腹。
 無人島ではない。人は大勢いた。人との接触もあった。配給米もうけとった。預金からおろした十円札を何枚もポケットに突っこみ、兄は母の残した着物をもって買い出しにでかけた。しかし、近所の人々は、水を汲む井戸で出会っても、兄妹の横穴を訪れることはなかった。中学三年生の兄を立派な大人とみなし、ふたりを独立した家族として干渉を慎んだのか。ただみずからと家族のくらしに忙しく、兄妹をふりかえるゆとりを失っていたのだろう。それどころか、兄がわずかな食物を求めて畑を荒らしでもしようものなら、たちまち殴るる、そして警察に突き出した。
 空襲警報の鳴るたびに、兄は焼け残った街の一画へと出動する。すさまじい爆音・爆撃・機銃掃射の音の交錯するなかを少年は走り、待避中の留守宅へとびこみ、食べ物や交換用の衣類などを盗みだす。空にB29の姿がきらめこうが、もはや恐怖はなく、ワーイと手でも振りたい気持ちだった。
 もしいま、突然戦争がはじまり、日本が戦火に見舞われたら、両親を失った子供たちはどう生きるのだろうか。大人たちは他人の子供たちにどう接するのだろうか。
「火垂ほたるの墓」の清太少年は、私には、まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない。そしてほとんど必然としかいいようのない成行きで妹を死なせ、ひと月してみずからも死んでいく。
 中学三年生といえば、う予科練や陸軍幼年学校へ入ったり、少年兵になる子供もいた年齢である。しかし、清太は海軍大尉の長男でありながら、全く軍国少年らしいところがない。空襲で家が焼けて、妹に「どないするのん?」と聞かれ、「お父ちゃん、かたきとってくれるて」としか答えられない。みずからお国のため、天皇のために滅私奉公する気概はまるでなく、人並み」にはもっていた敵愾心できホいしんも、空襲のショックでたちまち消しとぶ。
 当時としてはかなり裕福に育ち、都会生活の楽しさも知っていた。逆境に立ち向かう必要はもちろん、厳しい親の労働を手伝わされたり、歯をいしばって屈辱に耐えるような経験はなかった。卑屈な態度をとったこともなく、戦時下とはいえ、のんびりとくらして来た部類に入るはずである。清太は母を失い、焼け出されて遠縁にあたる未亡人の家に身をよせる。夫の従兄である海軍大尉にひがみでもあったのか、生来の情の薄さか、未亡人はたちまち兄妹を邪魔者扱いし、冷たく当たるようになる。清太は未亡人のいやがらせやいやみに耐えることが出来ない。妹と自分の身をまもるために我慢し、ヒステリイの未亡人の前にひざを屈し、許しをうことが出来ない。未亡人からみれば、清太は全然可愛気のない子供だったろう。
「よろし、御飯別々にしましょ、それやったら文句ないでしょ」
「そんなに命惜しいねんやったら、横穴に住んどったらええのに」
 浴びせかけられる言葉もそれを口にする心もたしかに冷酷そのものではあるが、未亡人は兄妹が本当にそんなことが出来るとは思っていなかったかもしれない。清太はしかし、自分に完全な屈服と御機嫌とりを要求する、この泥沼のような人間関係のなかに身をおきつづけることは出来なかった。むしろ耐えがたい人間関係から身をひいて、みずから食事を別にし、横穴へと去るのである。卑屈に自分にすがって来ることをしないこの子は、どこまでも憎らしく、未亡人は厄介払いしてもあまり良心が痛まなかっただろう。
 清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。いや、その子供だちと時代を共有する大人たちも同じである。
 家族のきずながゆるみ、隣人同士の連帯感が減った分だけ、二重三重の社会的保護ないし管理の枠にまもられている現代。相互不干渉をつき合いの基本におき、本質に触れない遊戯的な気のつかい合いに、みずからのやさしさを確かめあっている私たち。戦争でなくてもいい、もし大災害が襲いかかり、相互扶助や協調に人を向かわせる理念もないまま、この社会的なタガが外れてしまったら、裸同然の人間関係のなかで終戦直後以上に人は人に対しおおかみとなるにちがいない。自分がどちらの側にもなる可能性を思って戦慄せんりつする。そして、たとえ人間関係からのがれ、清太のように妹とふたりだけでくらそうとしても、いったいどれだけの少年が、人々が、清太ほどに妹を養いつづけられるだろうか。
 物語の悲惨さにも。かかわらず、清太にはいささかもみじめたらしさがない。すっと背をのばし、少年ひとり大地に立つさわやかささえ感じられる。十四歳の男の子が、女のように母のようにたくましく、生きることの根本である、食べる食べさせるということに全力をそそぐ。
 人を頼らない兄妹ふたりきりの横穴でのくらしこそ、この物語の中心であり、救いである。苛酷かこくな運命を背負わされたふたりにつかの間の光がさしこむ。幼児のほほえみ、イノセンスの結晶。
 清太は自分で妹を養い、自分も生きようと努力し、しかし当然、力及ばず死んでいく。
 何はともあれたくましく力強く生き抜くことが至上であった戦後の復興から高度成長への時代「火垂るの墓」の哀切さに心うたれても、そのあまりの悲惨な結末を認めたがらない人々がいた。
 しかしいま「火垂るの墓」は強烈な光を放ち、現代を照らしだして私たちをおびえさせる。戦後四十年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感し得る時代はない。
 いまこそ、この物語を映像化したい。
 私たちはアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。しかし、現実には決して切りひらくことの出来ない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、「修羅と化す人の心である。そこで死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり、私たちの半分である。アニメーションで勇気やたくましさを描くことはもちろん大切であるが、まず人と人がどうつながるかについて思卜をはせることができる作品もまた必要であろう。